「匿名性」という言葉が無邪気に使われている件について

インターネットの匿名性は幻想か

匿名性幻想,という言葉を最近よく見るようになってきた気がする.

匿名性 (anonymity) を確保することは幻想じゃない.実際,情報の発信者の特定を実質上不可能にする(無視できる確率でしか成功できなくする)ための技術は存在する.

しかし,それは「ネットは匿名社会である」というのとは大きな隔たりがある.その意味で,ネットの匿名性は幻想であるという主張は正しい.と思う.

匿名と実名の二元論が幻想の正体

ある発信された情報について,「匿名性が確保されている」か「匿名性が確保されていない」かのいずれかである.というのは正しい.でも,「匿名」か「実名(発信元が明らかである)か」のいずれかである,というのは正しくない.この二元論は成立しない.

匿名と実名の間には,「一見すると発信元は明らかではないが,がんばれば発信者の身元が特定できる」というグレーな部分がある.そして,このグレーの部分はとても広い.ほとんどのブログとか掲示板とかSNSとかの書き込みは,このグレーな部分にある.

このグレーな領域を「匿名だ」と無邪気に信じ込むと,匿名性幻想が成立する.

さっき書いたように,匿名性は確保できる.それは幻想じゃない.でも,名前を書かなければ確保できるほど簡単なもんじゃない.それは幻想だ.

匿名性幻想と「閉じられているから安全」という欺瞞による弊害

ネットいじめとか,出会い系サイトとか,学校裏サイト(これは針小棒大に騒がれすぎ,というか,公式じゃなければ裏だ,というこれまた変な二元論の産物だと思うけど)とか,子供のネット利用によるさまざまな問題を,ネットの匿名性とか公開性とかのせいにしようとしている人がいる.

けれども,実際には,ありもしない匿名性を無邪気に信じることが問題を引き起こしている部分が大きいんじゃないかな,と思う.ふつーの子供は「ばれるんじゃないか」という懸念があれば,あまり無茶なことはやれない.

あとは,SNSとかいう衆人環視が働きにくい危険な環境を「閉じられた社会だから安全」とかノタマウ欺瞞が,被害をエスカレートさせているところもあると思う.「みんなが見てる」という意識があれば,あまり品性を疑われるようないじめの言葉は書けない.その程度の良識と気の弱さくらいは,「いまどきの子供」に期待してもよいと思う.

国会とか政府では,青少年保護のためにフィルタリングを強化しよう,とか言っているけど,そんないたちごっこが目に見えている対症療法よりも本質的にはこちらの問題を解決するべきだと思う.なぜそうしないんだろうか.なぜ匿名性幻想がはびこったままなのだろうか.

匿名性幻想があったほうが便利なこともある

匿名性幻想が共有されているほうが都合がよい人たちはいる.ネットの匿名性が諸悪の根源だ,バランスをとることが必要である,ということにしておけば,監視や検閲も正当化できる.いままで「通信の秘密」という憲法の高い壁を前にして手が出なかったことを,「青少年保護」という錦の御旗の元にうやむやのうにゃむにゃにすることができる.子供を「お墨付き」サイトに囲い込むことにして,お墨付きを与えたりもらったりする利権も確保できる.

陰謀論?そうかも.でも,心の片隅くらいにはメモしといても罰は当たらないと思う.

提案

匿名性が幻想である,ということをちゃんと子供と共有しよう.ログというものがあることを理解させよう.メイルヘッダにどんなことが書いてあるかを理解させよう.「利用規約」に個人情報の提供についてどんなことが書いてあるかを理解させよう.裁判所の令状があれば身元は特定されるし,実際にはそれすら必要ないような規約が書かれていることが多い.

「閉じられた環境が安全」というのはほとんどの場合は欺瞞であることを子供と共有しよう.SNS という名の「閉じられた」会員制サイトで,実際にどのような被害が起きているかを理解させよう.「子供向けサイト」が子供をターゲットとした犯罪者にとってどんなに都合がよいかを理解させよう.

フィルタリングで子供の目を塞ぐ前に.